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福岡高等裁判所 昭和44年(ネ)87号 判決 1970年6月23日

被控訴人 筑邦銀行

理由

昭和三七年一〇月二日被控訴人銀行福岡支店に船津富士名義の普通預金二〇〇万円が受入れられた事実自体は当事者間に争いがない。

控訴人は、右預金は控訴人の偽名預金であると主張するのでこの点につき検討するに、《証拠》を綜合すると、

右預金は控訴人と訴外盛山勇義、同吉田乾作の三名が同支店に出頭し、その応接室で主として同支店次長奥薗雅彦と折衝した結果受入れられたものであるが、

預金として受入れられた一五〇万円の正金相互銀行本店振出の自己宛小切手及び現金二〇万円は、いずれも控訴人が自身の預金を払戻して調達したものであり、訴外進洋興産株式会社振出の小切手三〇万円も控訴人がその場で吉田乾作から交付譲渡されたものであつて、これを奥薗に差出したのは控訴人自身であること、

預金名義人船津富士の姓と肩書住所は控訴人の娘婿船津学のそれと一致して居り、預金名義をそのようにしたのは控訴人の申出によつたものであること、

「船津」の印を所持し預金払戻用の印として同支店に印鑑届をしたのも控訴人であること、

後記のとおり右印章と預金通帳を同支店に預けてその預り証の交付を得たのち、控訴人自身がこれを同支店に持参しその書き直しをして貰つて居り、以後引続き控訴人が右預り証を所持していること、

はこれを肯定し得ないではない。

しかしながら、本件預金が受入れられ、払戻された前後の経過事実が前記被控訴人主張一、二のとおりであつて、被控訴人銀行としては後日控訴人から自身が右預り証を所持していることを明らかにされるまで、預り証は盛山勇義が保管しているものと信じていたこと、は《証拠》によつて明らかで、右認定に反する原審証人吉田乾作の証言及び前掲控訴本人の供述部分はにわかに信用することができない。

即ち、控訴人は自身の出捐により当初は自身の預金とする趣旨で「船津富士」という架空名義の預金を申込んだものではあるけれども、その預金通帳が交付されるに先立つて、それまで全く面識も取引もない前記支店に対し、銀行にとつては親しい取引先に対して特殊な事情のあるときにのみ例外的に行うことのある通帳と印章の保管(例外的にしか行わない理由が被控訴人主張のとおりであることは前掲各証言にてらし首肯できる。)方を申し入れ(控訴人が会社の経営者として従前銀行との取引には相当経験を有するものであることは弁論の全趣旨により肯定されるから、かかる申し入れが銀行取引の常識にはずれたものであることは了知していたものと認められる。)、しかも盛山勇義の口添を得て強くこれを要求し、やむを得ず奥薗支店次長がその場に居た控訴人、盛山、吉田の三名の面前で、「それでは盛山さんから預かることに致します」とことわり、盛山を預金者とし預金者である盛山が預けたものとして通帳と印章とを預かり、預り証を盛山に交付したのに異議を述べず、そのときまでは一応控訴人が預金者となるにふさわしい言動を示していたとしても、いまだ確定的に合意されるには至つていなかつた消費寄託契約における寄託当事者について、あらためて盛山とすることを承諾した(そればかりでなく、当日後刻、盛山に差支えがあるので代りに来たといつて預り証の書きかえを求め、その際本件預金は娘婿である吉田のものである旨をわざわざ付言し、吉田による預金の払戻をあらかじめ承認するかのような意向をも表明している。)のであるから、(その前後の控訴人の言動が、被控訴人の主張するような不法な企図に基いて為されたとの疑は消しえないが、いまだこれを認定するに足りる証拠はない。)右合意の効果として、被控訴人に対する関係においては本件預金を自身のものと主張することはできないものといわざるを得ない。

控訴人は、盛山も吉田も一致して本件預金を控訴人のものと認めていると主張し、同人らの証言ないし本件に提出された同人らの別件供述調書中にはそのような趣旨の部分があるけれども、それは要するに三者の内部関係において本件預金から生ずる経済的利益の最終帰属者が控訴人であることをいうにとどまるものと解され、これをもつて控訴人を本件預金契約上の預入当事者と認める根拠とはなしがたく、他にそのように認むべき証拠はない。

それゆえ、控訴人がその預入当事者であることを前提とする控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきである。

よつて右と結論を同じく原判決は結局正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却

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